今日私たちがファッションのお手本と仰ぐスターのほとんどは、これぞ自分らしいスタイルというものを持ち合わせていない。持っているのはデザイナーとの親密な共生関係だけなのである。自分のエキセントリックな部分を捨てて単調なファッションを選べば、創造性を傷つける危険を招くだけだ。自分らしいスタイルという感覚を育てられないまま、ただ機械的に流れを追いかけていては、そもそもファッションはなぜ楽しいのか。それは、冒険とオリジナリティがあるからだということを忘れてしまいかねない。もちろん、消費主義にそれほど毒されていない国の人々は、ちょくちょく服のスタイルを変えたりはしない。同じ国の中でも、地域によって違いはある。イタリアには、何十年も同じスタイルを通している田舎暮らしの人もいれば、流行を追いかけて日々外見の変わるミラノっ子もいる。ほかのことに関しては嗜好が安定しているのに、服の趣味だけがそんなにころころ変わるなんておかしくはないだろうか。好みの異性のタイプはめったに変わらない(背が高くて浅黒いハンサムが好きなら、色白チビ君に夢中ってことはまず考えられない)。食べ物の好き嫌いもあまり変わらない(ピクルスが嫌いな人は、おそらく最高級のグルメーピクルスを目の前にしても食指は勁かないはず)。美術品や映画の好みにしたって、生涯通じてそう変わるものではないのでは。それなら、なぜ私たちはファッションの場合だけそんなに移り気なのだろう?スピードーシック現象を知るためには、その必須要素である『トレンド』を理解することが重要だ。